Episode7:【シリーズ“自分らしく生きるために”】⑤「“嫌われたっていいじゃないか”」

アドラー心理学

みなさんこんにちは。“MaskMan YC”です。

今回のテーマは「“嫌われたっていいじゃないか”」です。
このテーマを語るにあたって、まずこれだけはお伝えさせてください。

それは

“他者(相手)から嫌われるようなことをやる”ということではない

ということです。

「今からみんなから嫌われることをやりまーす」

なんてわざわざ宣言して、嫌われるようなことをやるって早々ないでしょう。

※ただし、例えば好きな異性がいたとして、その方ともう少し近づきたいなって、からかってみたり、ちょっとしたドッキリをかけてみたり、などその方から嫌われるようなことをあえてやってみる、っていうことはあるかもしれませんね。(このような気持ちとは真逆の行動を取ることを、オーストリアの心理学者・精神科医 ジークムント・フロイトが提唱した防衛機制のうちの一つ「反動形成」といいます。)

できれば、誰からも好かれたいし、誰からも気に入られたい。

「嫌われる」ってやっぱネガティブやし、すごく悲しいし、淋しい感じもします。

かと言って

万人から好かれよう、気に入られようと肩肘張っていると…何だか疲れてきませんか。

かつての私はそうでした。“万人からも気に入られたい”と。

しかし、やっぱり疲れる。疲れてしまったのです。まさにエンジンがオーバーヒート状態です。

私の経験を踏まえつつ、テーマ「嫌われたっていいじゃないか」について考えていきたいと思います。

「誰からも気に入られたい」と躍起になっていた私

私ははっきり言って目立ちがりやと言いましょうか。目立つことが好きな方です。

そんなパーソナリティは幼少期の頃に形成され…

小学校、中学校では生徒会役員に立候補したり。

運動会の応援団の団長をやったり。

出し物やみんなの前で歌モノマネをしたり。

とにかく目立つことが好きでした。

そんな私に、周りから歓声、声援の声をたくさんいただき、それが気持ちよくて仕方ない。

「誰からも気に入られたい」という欲求はこんな形で作られていきました。


社会人として働くようになってもその欲求は変わらず、

上司、先輩などから気に入られたく、

モノマネをしたり、カラオケで踊ってみたりなど、

学生時代のノリで面白いことをやろうと、突き進んでいました。

ただし、学生時代のノリだけではいけません。


 どなたに対しても挨拶はきちんとする。

 仕事は自分なりにしっかりこなす。


上司や先輩などの趣味や興味があることを聞いて、それについて自分なりに調べておく。そしてそれらをネタに話題を盛り上げる。

基本的に「はい。喜んで。」の精神で何でも仕事を引き受ける。

など、「誰からも気に入られよう」と躍起になっていました。

空回りとオーバーヒート

しかしながら、学生時代とは違い、空回りのオンパレードでした。


例えば、とある部署に配属となった時の上司とは、全くそり合いませんでした。

挨拶をしてもガン無視。

喫煙所で一緒になった時、話題を振っても盛り上がらない。笑顔無し。

一方で、部署や他部署のある方々とは、冗談を言われたり、楽しそうに談笑されたり・・・

この時は何でだろう?何が違うのか?

本当にわかりませんでした。その方々のことを羨ましく見ていました。

結局その後も状況は変わらず、疲れてしまって、その上司とは、自らだんだんと距離を置くようになってしまいました。


そして仕事のやり方においても大きな壁が訪れました。

何でも仕事を引き受け、「今は無理です。」とはっきり言えないことからどんどん仕事が溜まっていき、残業の増加にもつながり、毎日ヘトヘトになりました。

そんな状況ではやはりうっかりミスも増え、その対応に追われ、まさに負のスパイラルに陥りました。

結局、引き受けた仕事を全てこなすことができず、オーバーヒート状態。

周りの助けを借りることになり、その当時相当周りに迷惑をかけてしまいました。

私の経験から学んだこと:「他者から嫌われる“勇気”を持つこと」

私は、「誰からも気に入られたい」躍起になっていました。

しかしながら、うまく行かず疲れ果て、オーバーヒートしてしまいました。

この当時の私は、「自分らしく生きる」すなわち「自由」にいられていたでしょうか。

 上司に過剰なまでに気を遣い、無理していた自分

 「周りから嫌われたくない」と、無理して何でも引き受けていた自分


周りからの反応に縛られ、“自分らしく”“自由”とは程遠い世界を過ごしていたとしか思えません。


アドラー心理学では“自由”について次のように定義しています。

“自由とは、他者から嫌われることである”

(引用:岸見 一郎/古賀 史健「嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え」(2013) P.162)


この定義をご覧いただいて、皆さんはどのように感じましたか。

私はこう思うのです。

 自分のことを快く思っていただける方もいれば、そうでない方もいる。

 だから“万人から好かれよう”無理をする必要はない。

 「“嫌われたっていいじゃないか”」

と。

冒頭申し上げたとおり、あえて嫌われるようなことをする必要は当然ありませんが、「他者から嫌われる“勇気”を持つこと」がより“自分らしく生きる”上で重要なのではないかと思うのです。


 上司に過度に気を遣いすぎることもないし、

 自分の仕事量と照らし合わせて、これ以上引き受けることができなければ、状況を丁寧に説明して断ればいい。


こう思うことで、メンタル面で本当に楽になりました。


また、オーバーヒートになるまでに仕事を引き受けて溜め込んだ結果、部署の仕事が回らなくなったら、自分自身の信頼問題にも発展。

自分のことを応援してくださる、温かく思ってくださっている方からの信頼を失うという大きな代償を払う、というリスクの面においても「他者から嫌われること」を恐れて、自分の状況をはっきり伝えられなかった当時の自分に対して、大きな反省の念を抱きました。

最後に

今回のテーマ「“嫌われたっていいじゃないか”」

いかがでしたでしょうか。

いろいろと私の経験とアドラー心理学の定義を紐づけて、私が思うことをお話させていただきましたが、

とはいえ、私が完全に周りに気を遣っていないのか、といわれると、やはりそれは難しく、周りに気を遣うシーンも多々あることが現実です。

しかしながら、「他者から嫌われる“勇気”」を持ち、「“嫌われたっていいじゃないか”」というスタンスを持つことにより、周りを過度に気にし過ぎることなく、より自由に、自分らしく日々を生きられているように強く感じます。

同じ悩みで日々、生きづらいなって感じられていらっしゃる方にとって少しでも参考となれば幸いです。

本日も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

MaskMan YC



参考文献:岸見 一郎/古賀 史健「嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え」(2013)       

P.156~P.164「第三夜 嫌われる勇気について」

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