みなさんこんにちは。“MaskMan YC”です。
今回のテーマは「“承認欲求”を捨てる」です。
この考え方を聞いて、
「周りから認められる(承認される)ことで、さらなるモチベーションにつながるのではないか!」
「“褒められて伸びる”、という言葉があるがそれを捨てるということなのか」
「なんか向上心を感じられない考え方だな」
いろいろとお感じになったことと思います。
確かに、何か自ら行動をして、
「ありがとう」って言われた時
「スゴイね」って称賛された時
「ほんと成長したね」って声をかけていただいた時 等々
他者(相手)から認めていただけるって
やっぱり嬉しいもんです。
そりゃHappyの何物でもない。
みるみると活力に満ちてくるもんです。
人生が楽しい。
でも…
相手から「こう言ってほしいな」。でもそれが起きなかったとしたら…
相手から期待しなかった反応がなかったとしたら…
相手からに認めてられず否定され続けたとしたら…
それでは「“承認欲求”を捨てる」について深く考察していきましょう。
他者から”承認されていない”と感じ続けるとどうなるのか?
結論から先に申し上げます。
・モチベーションの低下
⇒“これはみんなから評価される。喜んでもらえる”と、自信満々に取り組んだことに対して、周りから反応がなかった時…
「やったってどうせ周りが認めてくれないんだし、意味ないじゃん」
「あーあ、どうせ周りから評価されないならやんなきゃ良かった」
など「どうせ○○」と、やる気がどんどんなくなっていきます。
・認めてくれない周りに対してイライラ
⇒気を利かせて行ったことに対して、相手から「ありがとう」がなかった時…「なんだ、“ありがとう”の挨拶もないのか!腹立つわ!!」
「おはよう」の挨拶に相手から反応がなかった時…「こちらの気持ちよく挨拶したのに無視された。なんかムカつく!!」
・周りに対してイライラしている自分が嫌になる。
・自己否定的になる。自己肯定感が下がる。
⇒「周りに腹立ったり、ムカついている自分ってほんとダメな奴だ。」
「何をやってもダメだ。自分なんて大したやつじゃない。」
そしてそれに留まらず…
・無気力になり、うつなどの精神疾患を発病
このような流れに陥る可能性もあります。
かつての私がそうでした。
私の経験「“認められる”ことの嬉しさ」
以前のEpisodeでお話ししておりますが、私は教育関係でお仕事しております。
数年前に学生はじめ若者の進路・就職支援の部署に在籍していた時のお話です。
私はキャリアガイダンスや研修の企画、講師を担当しておりました。
私がこの部署に赴任した時の上司Aさんは、とにかく何でもやらせてくれる上司でした。
当時、コロナ禍真っ只中であり、なかなか対面のキャリア研修はできない。
そこで、オンラインを活用したキャリア研修や他業種と方とコラボしたオンラインキャリアイベントの企画など
いろいろ携わらせていただきました。
上司Aさんに企画内容を説明した際、
「まずはやってみればいい。やってみて課題などを改善して、ブラッシュアップさせていけばいい。」
と、ほぼ全ての企画に対してやらせてくれました。
その中で、行き詰った時には、相談にものってくれました。
上司Aさんとは以前にも一緒の部署で仕事したことがありました。
ある日上司Aさんよりこんな言葉をかけていただきました。
「あなたは、以前一緒に働いた時と比べて、ものすごく成長したね。頼もしくなったよ。これからも頼りにしているよ。」
こんな嬉しい言葉はありません。
すごくこれまでの頑張りを認めていただけた。
本当に嬉しかった。
サービスを利用される学生や若者のために
その組織のために
この上司のために
もっと活躍するぞ
この時は本当にやる気に満ちていました。
このまま上司Aさんのもとで、モチベーション高く仕事をしていきたい。
でも人生の悪戯と言いましょうか。この良い状態はそう長くは続かなかったのです…
私の経験「“承認されたい”…でも“否定”され続けた結果」
人事異動というのは私の願望ではどうにもなりません。無力なものです。
上司Aさんのもとで仕事をして、3年ほどたったころ、上司Aさんが異動となりました。
その後に赴任した上司B・・・この人は最悪な上司でした。(“さん”づけせず“上司B”としますがご容赦ください。)
私は引き続き、キャリアガイダンスや研修の企画、講師を担当し、PowerPointなどのスライド資料作成をしておりました。
「いつまでも古い情報では聴講されている方のためにならない。」
「話を聴いてもらえるようにせるためにはスライドの見やすさも重要。」
そんな思いから
最新の就職活動(就活)を取り引きのある就活情報サイトの方から聞いた情報や私自身で調べた情報など、最新のトレンドを盛り込んだり、1スライドあたりの文字数減らし、文字を大きくするなど、工夫しました。
しかしながら上司Bからは、“否定”の連続でした。
そんな状況でも、初めは、上司Bから“認められたい”という思いが強かったんだと思います。自分の思いも交えながら上司Bと話し続けました。
しかしながらろくに話は聞いてもらえず…
「今までどおりの内容でいい」
「内容を最新に変えたところであいつら(聴講生を指す)はどうせ聴いてないんだから無意味、時間の無駄」
「それは“あんたの自己満”に過ぎない」
「あなたは資格(国家資格キャリアコンサルタントを指す)を持っているが、そんなもの役に立たない。」
※ちなみにこの上司Bは国家資格キャリアコンサルタントは所有しておりません。
とにかく否定し続けられました。
私の思いも十分に聞くことはなく、頭ごなしに否定され、人格まで否定される…
モチベーションは大きく下がり。
“あんたの自己満”「自分は周りのためになっていないのか」…自分自身に自信が持てなくなり
「自分は無能な人間…」
とさえ思うようになりました。
次第に上司Bの顔を見たり、声を聴くだけで胃が痛くなったり、気持ち悪くなったり…
ついに職場に行けなくなりました。
“うつ”と診断され数か月休職を経験することになったのです。
私の経験からわかったこと~「“承認欲求”を捨てる」という“勇気”~
当時の経験を振り返ってみて分かったことがあります。
相手から認められたいという“承認欲求”というのは、
歯車が上手く嚙み合っている時は、勢いよく回って、活気に満ち溢れていく状態になるが、
ひとたび歯車が欠けたりして噛み合わなくなった時、最悪の状態へと転落する恐れがある。
ということです。
これって、他者によって好転もするし、転落もする…
“他者に自分の人生を委ねている状態”
“他者に自分の人生を翻弄されている状態”
と言えるのではないでしょうか。
この状態では “自分らしく生きる”とは程遠い。
この経験から私は「“承認欲求”を捨てる」という“勇気”が必要だと思うのです。
「“承認欲求”を捨てる」ために
「“承認欲求”を捨てる」ために
私は当ブログ『Episode4:【シリーズ“自分らしく生きるために”】②「“見返り”を求めない」』にも登場した
アドラー心理学の『課題の分離』という考え方が応用できると考えます。
(『課題の分離』については当ブログEpisode4:https://caraku-career.com/wordpress_article_episode04/
を参照ください。)
“他者が何を考えようともそれは他者の課題である。”
今回の“私の経験”から言えば、
上司Bがどう思っていようともそれは上司Bの課題であって、私の課題ではない。
だから“上司Bから認められよう”と上司Bの課題に踏み込む必要はない、と割り切る。
すなわち上司Bへの“承認欲求”を捨て、切り離し、“自分らしく”学生や若者のために、組織のために自分の役割を邁進する。
このように捉えることができたら、自分とは合わない上司に翻弄されることなく、“自分らしく”振る舞うことができるのではないか、と思います。
そして、“評価”というものを“他者からの承認”で捉えるのではなく、
例えば自分の中で自分自身に対して目標を設定し、そこに向かって努力し、
それを超えることができた時、「よくやったよ、」「自分ってやればできるじゃん」と自分に対して“評価”することで、より自分に自信を持ち前向きに捉えることができるようになるのです。
挨拶でもそうです。
例えば「誰に対しても挨拶はきちんとする。」と自分の中でそう決めたのならば、
ブレずに取り組めばいい。
たとえ他者(相手)から返しがなくとも、ムカつくことはないのです。
それは「“他者(相手)の課題”であって、“自分の課題”ではない」のですから。
そして「“他者からの承認”されたい」と欲求にかられなくても、
そんなあなたのことを“温かく見てくれている”、そんな方が自然と現れるのですから。
最後に
今回のテーマ「“承認欲求”を捨てる」
いかがでしたでしょうか。
アドラー心理学では“承認欲求”について、こう捉えています。
「承認欲求は不自由を強いる」
(引用:岸見 一郎/古賀 史健「嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え」(2013) P.156)
さぁ、今日から「“承認欲求”を捨て」、 “自分らしく生きる”道を共に歩んでいきましょう。
本日も最後までお読みいただきましてありがとうございました。
MaskMan YC
参考文献:岸見 一郎/古賀 史健「嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え」(2013)
P.128~P.138「第三夜 承認欲求について」、P.139~P.155「第三夜 課題の分離について」
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